学校紹介
本校は,徳之島の東南部に位置し,周囲をサトウキビ畑と牧草地に囲まれた7学級児童数54名(令和5年4月現在)の小規模校である。また,明治29年に設立された歴史ある学校でもある。
校区は,徳和瀬・諸田・神之嶺・井之川・下久志の5つの集落から成り立っており,豊富な水資源を生かしたサトウキビ等の畑作が盛んである。保護者の教育に対する関心は極めて高く,学校に対して協力的である。 また,自立自興の気風が根付いており優れた人材が各界で活躍しており,後輩への良き指標となっている。
現在の児童数
(令和5年9月1日現在)
学 級 男 子 女 子 学級計
1 年 5 5 10
2 年 6 5 11
3 年 5 1 6
4 年 2 6 8 (3・4年は複式)
5 年 9 5 14
6 年 4 2 6 (5・6年は複式)
ひまわり(知的) 7 0 7 (再掲)
たんぽぽ(肢体不自由) 0 1 1 (再掲)
こすもす 1 0 1 (再掲)
合 計 31 24 55
※特別支援学級は再掲
校章
○ 制 定 昭和39年
○ 発案者 太 光延 氏
○ 趣 意
神之嶺小校章 神之嶺の頭文字,「カ」は,「知力・体力・気力」の力で,この三つ「カ三(かみ)」が うまく調和した総合的な能力を円であしらい,やがてその力は,「山を抜き 気世をおおう」と いう井之根性を表している。また,「小」の外円は,互いに力を合わせ,磨き合う協力一致の 校風と創造性豊かな人間性を象徴する。
校歌
作詞・作曲 山本 浩良
一 太平洋を 見はるかし
朝な夕なに 照りはゆる
井之川岳を あおぎみて
たてるもゆかし 神之嶺
二 鎮守八幡 みそなわす
みおやの教え かしこみて
つよく正しく よき人と
集いてはげむ われらなり
三 大海原を 見渡せば
広くゆたかに 湧く思い
やがて伸びゆく 行く末を
望みはるけく におうかな
校区紹介
本校区は,徳之島町の東南部に位置し,徳和瀬・諸田・神之嶺・井之川・下久志の5集落が,なだらかな丘と海辺に散在している。また,畑地帯総合開発が進み,広大なさとうきび畑に囲まれた農村地帯である。徳和瀬地区に,農業用ダムや野球場・プール・陸上競技場等の総合運動公園施設があり,市街地(亀津)へは車で15分,港へ15分,空港へは40分で行ける距離にある。
本校区は,「井之根性」という自立自興の気風が根付き,独学力行型の優れた人材が各界に活躍し,後輩へのよき指標となっている。46代横綱の朝潮太郎は,本校を卒業した一人で,奄美復帰運動の先駆者,泉芳朗先生は,本校に校長として勤務したことがある。
特色ある教育活動
読書活動と夏目踊り(県無形文化財指定)は,本校の特色ある教育活動の2本柱として活発な取組を行っている。
1 読書活動
学校での読書活動は, 日課表に位置づけられている読書集会(教職員や保護者による読み聞かせや本の紹介)や朝の10分間読書等である。毎月23日の読書の日には, 読書カード(心に残った本の紹介)の記入を家庭学習の課題としている。また, 各学年の保護者が担当して行う親子読書会がある。このような取組を通して, 本に親しみ, 本の世界を味わうことができる児童の育成をめざしている。
2 夏目踊り
夏目踊りも教育課程(総合的な学習の時間)に位置づけ, 保存会の方々や学校職員の指導のもと, また高学年が後輩達に教えながら,練習を続けている。 島口を語る子供がほとんどいなくなった現在で,本校の子供たちは,踊りながらしっかりと「あったら七月」「五尺手拭」を唄い,様々なイベントで,練習の成果を披露している。夏目踊りは陰暦のお盆が過ぎて7日前後の干支の丙, 丁, 戌と続く日を選んで催される地域行事である浜下りの夜の風物詩とされている豊作祝いや家内安全を祈願する踊りである。この踊りを児童が学ぶことを通して, 郷土のすばらしさを感じさせ, それを後世に伝えようとする態度を育てることをめざしている。